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お知らせ

2017/06/16
6/15<向島>女性<センダン加工研究軍団>が嬉野で研修しました。


 <向島>でセンダンの植栽が始まってすでに6年が経過しました。
過疎化した離島に活性化の血を注入し、産業の創生によって雇用の創出を図ろうとして始まりました。

 それまでの耕作放棄地3000?強の敷地に<センダン>を植え込み、その果実から茶葉を採取し、インフルエンザ予防へ役立てるため加工しようというものです。

 痩せて枯れていた土地に息を吹き込み、雑草林を伐採開墾しセンダンの苗木を植栽するという果てしない旅(作業)が始まりました。

 【辛抱】という文字がこんなにも物理的にも心理的にも残酷なことなのかを経験した島民の前に少々の明かり灯ったのです。
それもまだ行燈(あんどん)なのですが・・・・・。

 佐賀県南部に位置する【嬉野(うれしの)】は<センダン>の生地です。

 それは、<向島>で植栽しているセンダンの苗木を、ご当地嬉野で種から苗に生育し、向島へ養子に出され、この地で過酷な運命を辿っています。
あの嬉野のふくよかな土地と温暖な気候で生まれた種子が、しばらくの間、嬉野の土地で育まれ、その後、この耕作放棄地の荒れ地である玄海灘から吹き寄せる西風の強風にさらされる毎日の<向島>へと船に揺られて来島したのです。

 そして、6年目。人間でいえば小学一年生。
 ようやく、土地に馴染み、生育しています。

 このたびセンダンを育成している<向島>の女性軍団の面々が生地(嬉野)を訪れ、彼ら(センダン)のその後の進路を見極めのため勉強に行ってきました。

 その勉強の様子を、上記の写真でご覧ください。
 

2017/06/06
6/03(土)に、第16回【百済武寧王生誕祭】が盛大に開催されました。



 2015年に武寧王陵をはじめとする王陵群が世界遺産リストに登録されて、徐々に注目をされつつある中、去る6月3日(土)に<加唐島>にて【百済武寧王生誕祭】が開催され、今年も韓国・公州市から多くの方々やKBS(韓国放送公社)のテレビクルーも同行されていました。

 <加唐島>の子どもたちが歓迎のお出迎えから始まり、程なくして記念碑前で生誕祭の式典が執り行われます。
厳かな雰囲気の中、式は滞りなく終了。そこから場所を加唐島小中学校へ移動しての昼食です。
学校の入り口では、その日振舞われるたくさんのサザエのつぼ焼き、そして目玉であるシシ肉の丸焼きの香りが食欲をそそります。
次に、体育館に入ると、島の名産品である塩や、あかもく等の販売もされており、大変好評でした。

 この日は、加唐島島民も昼食から参加さしており、総勢200名を超える人数が賑わいます。

そこに突然仮面をつけた二人の人物がステージへと向かいます。
ステージ上にはオビヤ浦の武寧王生誕の地である洞窟の写真。その写真を背景にして、武寧王物語の演舞が始まったのです。
出生までの困難、そして天女が舞い降りて出生を喜ぶさまを、見事に演じられています。その後はお礼にとばかり、加唐島の小中学生たちによる<加唐ソーラン節>を披露。

 さらにゲストの「おやじFlavors」が出演。
会場全体が総盛り上がり、和気藹々と歌ったり手拍子をしたりと大盛況の中幕を閉じます。
しっかりと交流の輪が定着していました。

会うは別れの始まりです。港でのお見送りでは別れを惜しむあまり、船に乗っている韓国の方々があまりにも岸壁に寄りすぎて船が傾くほどだった。


 「百済武寧王生誕の伝承」は国土交通省が認定する「島の宝100選」に選出されているほです。

今後も日韓の草の根交流の輪が広がる事でしょう。
 

2017/05/22
<馬渡島>のアブラギリにも花が、実が噴出しました

 

2017/05/22
NPOレインボー七つの島連絡会議の平成29年度第16回会員総会が開催されました。

 NPO法人【レインボー七つの島連絡会議】の会員総会が、20日(土)唐津市バスセンター3階の市民センターの会議室で開催されました。

 総会には、通常国会の真っ最中の公務ご多忙中のところ、国会議員で参議院議員の『福岡資麿』氏、衆議院議員『稲葉博志』氏、参議院議員『山下雄平』氏の三氏並びに緊急の所用で欠席された『古川 康』氏の代理で、地元秘書の『西脇俊彦』氏を迎えての会議となりました。

 また、行政庁からは佐賀県さが創生推進課長、唐津市交流文化スポーツ部長、並びに地域づくり課長及び応援団の唐津商工会議所事務局次長をお迎えし、平成28年度の総轄と29年度の事業計画が審議され原案通り採択されました。

 総会には、来賓、会員総数35名の出席のもとに審議を行いましたが、特に七つの島の党員への【産業の創生と雇用の創出】を喫緊の課題として取組、七つの島の活性化に貢献することが可決されました。

今後の皆様のご協力とご支援お願い申し上げます。
 

2017/04/18
今、蘇る!!<小川島>と牛津町砥川の石工『与四衛門』の交流関係


 時は、江戸時代元禄の前ですから西暦1600年前後。
玄界灘はクジラ漁で栄えていました。
当時の小川島で捕獲したの鯨は『中尾組』が取り仕切っていましたが、それ以前からの島民であった島では当時の島長『深澤某』氏が、島の繁栄と鯨捕獲の豊漁を願って観音像建立を願っていました。
その時、かって耳にしていた石像づくりで有名な牛津町砥川に名立たる石工『平川与四衛門』がいることを知り、氏へ建立を懇願し、島民が敬うよりどころとして島の御堂に座る【観音像】の制作を依頼したようです。

 これに承知した『与四衛門』は、わざわざ<小川島>に長期滞留し、観音像を彫り上げました。それが、上記左の写真です。
島民には、観音様を慕う気持ちが強く、現在でも子ども達の受験、病気の快復等々願い事があれば観音様を訪れて祈念するそうです。

観音様は、屋根付きの御堂の中に鎮座しているため、当時の石像のまま威風堂々として美しく保存されています。
それが縁か否か?
この程完成した映画=二つの巨星〜善蔵と与四衛門〜=が4/16日に牛津公民館で大観衆を集めて試写会が開催されました。
作中では、『与四衛門』が<小川島>に観音像の制作のため滞在している間中、世話をしていたと伝承された島一番の美少女『イソ』のことが描かれた悲恋のシナリオになっていて情緒あふれるものでした。

 ちなみに、この映画は昨年の初秋ごろ<小川島>の北側、東海岸の磯浜でロケーションが行われ、撮影スタッフとともに小川島を訪れた牛津町町民がそれぞれの配役になって撮影が行われました。スクリーン上で小川島の海岸風景が描かれていて臨場感にあふれるものに仕上がっています。

 石工『与四衛門』の制作した石像は、九州各地に数多く立像されているようですが、繊細な彫り込みには多くのフアンがいるようです。
ちなみに、上の右の写真も<小川島>に鎮座する石仏ですが、当時は≪黄檗宗(おうばくしゅう)≫の全盛期。
中国大陸から長崎へ伝搬した黄檗宗は、大名の庇護のもと繊細な華麗で優美な仏像美は全国各地に広まっていったようです。
それまでの石仏つくりが黄檗宗文化の広まりと同時に、長崎から有明海を渡って牛津に伝わり、砥川の石工が誕生し、その一人が『平川与四衛門』でした。

 <小川島>に鎮座する観音像は、石像づくりに没頭する『与四衛門』の彫り上げた観音像の厳粛な顔には、どことなく『イソ』女と似ているのかもしれません。
しかしながら、二人は結ばれることなく『与四衛門』は、小川島の島民に見送られて<砥川>へ帰途に着くのでした。

 これを機会に、<小川島>と<牛津町砥川>の交流の発展につながることを期待します。
島では、毎年8月9日には【観音堂】のお祭りが行われますが、その時には島中に<般若心経>の声が響き渡るそうです。
ぜひ、<小川島>へ訪島していただくこと、お待ち申し上げます。

 なお、映画の作中『善蔵』とあるのは、その後肥前一円で商いを繁盛させた百貨店【玉屋】の創業者のことで、やはり、牛津町出身です。
 
 

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