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神集島|島の紹介




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島の紹介

肥前の国の 松浦郡の狛島の亭に 船泊せし夜に

遥に海浪を望み 各々 旅の心を働みて作れる歌   七首

西暦736年6月遣新羅使の一行は、大阪を出発して瀬戸内海を通り、博多に滞在した後、福岡の西端唐泊、芥屋を経て、日本最後の泊地である狛島(神集島)にやってきました。
この一行の正使は、『安倍継麻呂』氏で、副使は『大伴三中』氏でした。 一行は、この神集島で旅の準備をし、風待ちして玄界灘に乗り出して行きました。
当時の船の構造からして、玄界灘を乗り切ることは至難の業でしたから、彼らは、船待ちをしている間に故郷や都を偲んで歌を詠んだそうです。 歴史的に万葉集に綴られた歌七首がここ神集島に残され、現在では石碑として島民が守っています。
命がけの旅を続ける人たちの孤独と、妻や恋人を慕う気持ちが玄界灘の潮の香りとともに胸に迫ってくるようです。(神集島公民館の掲額から)





神集島の大立者【岩本三吉】氏の功績は、偉大です。大正末期の長崎県生月島での漁労修業の末、大敷網(底引網の一種)組合を設立し、近隣漁業振興に貢献すると同時に、島民にも株分けし、神集島の中興の祖として貢献しました。



神集島八十八ヶ所の石仏群には、哀愁があります。海水浴場付近からキャンプ場を目指して遊歩しますと、左になんじゃもんじゃの苗木群があり右側に石仏群の入り口標柱が建っています。その中はまるで幻惑の闇に侵入したかのようです。

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